「結婚指輪(婚約指輪)の高額買取相場 人気口コミランキングサイト」の運営者の ヨシコ です*^^*
前回に引き続きこの第3話も、お読みくださりありがとうございます♪
元の結婚生活では、本当にまあ、、滝に打たれるよりも激しい修行ができたおかげで、今人生の何かひと山、ふた山を大きく乗り越えることができまして、とてもしあわせな日々を手に入れることができています。
今回の第3話では、「モラハラ夫と新居引越2日目から家庭内別居になりました(後編)」と題しまして、元夫の実家でお舅さんに暴言を吐かれて、やっとの思いで帰宅したはいいものの、そこでさらなる事件が起きて、家庭内別居が始まったというシーンになります。
・・・自分で当時の自分の身に起きたことを書いてはいるのですが、なかなか韓流ドラマ以上の凄さがあるように思います^^;;;
THE ROAD OF THE SELLING RINGS~結婚指輪売る物語~
【第3話】モラハラ夫と新居引越2日目から家庭内別居になりました(後編)
結局、夫の実家のお風呂からあがった私は、おばあちゃんに子どもたちを見てもらっていた手前、すぐに連れて帰ることもできず、半ば人質を取られたような感覚になりながら、夫の実家に居続けるハメになりました。
時間にして1時間ほどでしたが、苦痛以外のナニモノでもありませんでしたね。
どんな挨拶をして、実家を去ったのか、、、もう覚えていません。
記憶にないということは、恐らく、誰の顔も見ずにその場を立ち去ったのではないかとは思うのですがね^^;
ところが、です。
新居に帰宅後に・・・もっと大きな家庭内での事件が起きるわけです^^;;;
新居は段ボールが山積みになっていたので、引き続き片付けをしました。
年末の寒い冬、冷え切っていた新しい我が家に着いて、急いでガスファンヒーターを入れるのですが、まだ家の中の家具が「家に馴染んでいない」状態なのか、、なかなか温かくなりませんでしたが、それでも、とにかく片付けない限りは新しい生活をまともにスタートできませんので、がんばりました。
そして、子どもたちは疲れたのと引っ越したのとで、いつもと違う環境に興奮状態で、なかなか寝付きません。
というか、小さな子どもの目にも、お母さんがおじいちゃんに何か大きな声で言われていることを目撃すれば、それはショックを全く受けないか?というと、そうではないと思いました。
だから、興奮状態なんだ、、と私は内心思っていました。
夫は子どもたちの面倒を見るわけでも引越の片づけをするわけでもなく、『ただリビングにいる人』と化していました。
疲れと悔しさで私は感情が何も動いていなかったので、そんな夫のことは無視して、時々子どもたちのことをあやしながらキッチンの片づけをしていた、その時でした。
時間は23時を少しまわっていたと記憶しています。
「ヨシコ、おまえさ。何時まで起きてるんだ、早く寝ろよ」
これまた急に、誰に似たのか横柄な態度と言葉で、私に何かの日本語を言ってくるわけです。
“おまえと呼ばれる筋合いはない” と思いましたので、私はすぐさまこう切り返しました。
「引っ越しの片づけをしてるんだよ?順番に一個ずつ段ボールの荷解きをしているんだから、時間がかかるのはしょうがないじゃん」
口を出す前に手伝ってよと内心思いました。
ところが夫は、なぜか怒りを倍増させてこう言いだすのです。
「時間にルーズな奴は、ホントに最悪だな。こんな深夜まで起きてて、これだからダメなんだよ。勉強ができるとか学歴とか。そういうのは関係ないんだよ」
・・・どうやら舅の怒りが伝染していたようでした。
でも、私は家の中の片付けを何も手伝わない夫に対して、意味がわからないと思ったので、こう反論しました。
「何言ってるの、引 っ 越 し の 片 付 け をしているだけだよ?」
「ふざけるな、こんな遅い時間まで。俺は二階で寝るから、子どもを二階に上げるなよ。もし二階に子どもが来たら、子どもはぶっ叩いてやるからな」
そう言って、夫は怒り狂いさらなる暴言を続けながら、ピアノを間違ってぶつけてゆがんだリビングのドアを乱暴に開けて布団を二階に持っていき、再びそのドアのところに戻ってきて乱暴にドアをしめて二階のどこかの部屋に籠っていきました。
「親は、おまえにどんな教育をしたんだ?」とも、どこかで聞いたデジャヴように、その日の夫婦の会話の終わりは、そもそもそれで夫婦関係が終わるがごとく、まるで他人を揶揄するような言葉として二階から遠く聞こえて来ました。。。
子どもたちはというと、おじいちゃんのあの威圧感とお父さんの同じような空気感に、普通じゃない状態を察知して、ますますカラ元気に、そしてテンションが変に高くて眠れない状態に陥っていました(遠い目)
家庭内別居とはこういうことだ
深夜2時。
ようやく子どもたちが疲れ切って眠りに落ちた頃、私は段ボールだらけのリビングで一人、そう思いました。
でもこの時に、私の状況を冷静に整理してみると、、
- 在宅ワークはわずかにはするものの、実質的には専業主婦状態
- 2人の幼い子どもがいる
- 夫は家事を一切やらないため、核家族内ではワンオペ育児中
- 家計は夫がすべて握っていて、預金通帳がどこにあるかもわからない
- 国から支給される児童手当も、夫の管理になっているため、1円もこちらに来ない
- 夫側の親族から頂戴した、子ども関連のご祝儀は夫のポケットマネー化
- 夫からもらう生活費は、月5万円のみでそこから私の携帯電話代・新聞代も出さないといけない状態
- 食費で足りない分は、私の貯金から切り崩す生活
- 私のお小遣いはゼロ
家族が仲良く暮らす前提なら、子育てをしながら家のローンもなるべく早く繰り上げ返済をして、夫婦で協力していく~~~という形なら、上記の状況はまだ違ったように見えたかもしれません。
でも、急転直下で新居への引っ越しと同時に、家庭崩壊を一気に起こした状況で、自分の置かれている状況を、離婚前提で査定し直してみると、あまりに不利な状態なのは明白でした。
つまり、今この瞬間に離婚を切り出しては、離婚できたとしても小さな子どもたちを抱えては、勝算がないと思いました。
せめて、下の子が3歳になるまではこの家に留まって、生活の基盤を確保しよう・・・そう覚悟しました。
というか、新婚時代に「通帳を ヨシコ に渡したら、何に使うかわかんないじゃん」と言って、家計の話を私が持ち出すと、夫はあれこれ理由をつけて全部避けてきたことが脳裏をよぎりました。
あの時、夫のモラハラ感に気づいていればorz
結婚することに、ちょっと夢見て駆け足で20代のうちに結婚してしまったので、見たくないものは見ないようにしてでも結婚生活を体験したかった若かりし頃の自分自身の選択によって、今の現実が引き起こされていますから、もう過去は変えられません。笑
今この瞬間から、行動を切り替えて、結婚に夢見て誰かにしあわせにしてもらうのではなくて、自力でしあわせを掴む覚悟を決めれば、なんだかこの先は人生がうまく好転するのではないかと思いました。
ひとまずの生活に関しては、独身時代に預貯金はコツコツ作って数百万円のお金をプールできていたので、下の子が3歳になるまでは多少預貯金を切り崩しても、対処できるだろうと計算しました。
もちろんすぐに実家に戻る選択肢もないわけではなかったのですが、実家が北海道のため、実家暮らしをしたとしても年金生活の両親の負担になるだろうし、賃金の単価が低くて片親で生活基盤を整えるのは難しいと思った、という理由もあり、新居に留まって離婚準備をする選択を私はするのでした。
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結局、夫や夫の父が私に対して怒り狂った根本的な理由は、よくわかりません。
でも今となっては、この出来事のおかげでショック療法的に、在宅でできるインタービジネスの道にたどり着くことができたので、
私の人生を軌道に乗せるための、スペースシャトルで言うところの燃料タンクになってくれてありがとう!さよなら、良い旅を!
と、元夫や舅に対して心からエールを送りたい境地になれたから、自分ってすごいなと思います(遠い目)
そして、新居引越2日目で家庭内別居というものすごい逆境が、むしろ大きなパワーとなり、それらの燃料タンクは無事に切り離すことができたというわけですね(遠い目)
つづく
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